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<お知らせ>​
太田城440年祭の記念イベントとして、“餅まき”と“こどもみこし”を開催します。日程等は次のチラシのとおりです。

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~日本三大水攻めを勇敢に戦った~

紀伊雑賀惣国宮郷 “太田城”

 

 天正13年(1585年)4月22日、羽柴秀吉の紀州攻めの最後の砦となった太田城は10万の兵に囲まれ、5千人(うち戦闘員1500人)が籠城すること約1カ月、ついに刀折れ矢尽き、城中の子女等の助命を願って城将太田左近宗正をはじめ53名が自刃し開城しました。

戦国時代の和歌山市周辺は、「雑賀(さいか)」と呼ばれ、「惣国(国一揆)」といわれる宗教勢力を背景とした土豪・地侍の連合による地域自治が行われていました。

 太田城は、雑賀惣国の宮郷(社家郷)に位置し、日前国懸神宮の神領保護のため延徳3年(1491)64代国造・紀 俊連」が築城し、天正4年(1576)太田村郷士・太田源三太夫がより強固な構えに修築したといわれています。

 太田城は、現在のJR和歌山駅東口の東南約400㍍に位置する来迎寺、玄通寺を本丸として、南北350㍍、東西450㍍の平城で、幅10㍍、水深5㍍の堀をめぐらし、60㍍ごとに櫓を設けていました。特に、岡山県高松城、埼玉県忍城と日本三大水攻めの戦いのあったことで知られており、さらに刀狩令の原型が実施されるなど、中世から近世への激流の渦中にあった城でした。

 秀吉軍の水攻めの規模は、築かれた堤の総延長7㎞、高さ4~6㍍、堤底の幅34㍍で、延べ47万人の労力で、わずか6日間で完成しました。現在、二カ所にこの堤跡が残っています。

 また、太田城は、開城と同時に焼失しましたが、唯一の遺構として大門が和歌山市橋向丁の大立寺山門として現在も永遠の太平を願うかのように厳かに佇んでいます。

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太田城の歴史を伝える

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​太田城史跡顕彰保存会

 太田城史跡顕彰保存会は、和歌山市宮地区の北太田自治会、南太田自治会を中心に構成し内外に太田城の魅力を発信することを目的としています。

 

 太田城に関する情報の発信を通じて、太田城の魅力を広く伝えていきます。

​太田城の遺跡など

​孫市まつりに参加

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日本で唯一残る秀吉が作った水攻め堤跡 

​こどもみこし

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​太田城の歴史をつなぐためこどもみこしでわっしょい!わっしょい!

お知らせ

新しい御城印を作製しました。観光交流センター(JR和歌山駅わかちか広場内)にて販売していただいています。

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